PROMINENCEⅠ和訳 Lesson 8
By admin | 5 月 24, 2008
東京書籍 PROMINENCE Lesson 8
Japan’s Goodwill Ambassadors to the World
(世界に対する日本の親善大使)
P.104
最近では、私たちはしばしば電車やバスで漫画を読んでいる人々を目にする。
会社員が会社へ向う間にバッグから漫画雑誌を取り出し、それを読むのを見ることが出来る。
また、横に座っている大人と子供が同じ漫画雑誌を取り出し、それを読むのを見ることが出来る。
また、横に座っている大人と子供が同じ漫画雑誌を読んでいるところもしばしば目にする。
これについて、あなたはどう思うだろうか?
P.105
日本の漫画には、たくさんの種類が存在する。
それらの中でも、今日最も一般的なものはストーリー・マンガである。
それらはまず、雑誌で出版され、それから本として出版される。
異なるマンガ雑誌は異なる年齢層の読者をひきつけたものだった。
しかし、状況は変わった。
マンガ雑誌やマンガ本はあらゆるところで、目にすることが出来る。
日本には「漫画喫茶」さえ存在する。
今、日本はトイレットペーパーよりもマンガにより多くの紙を使用していると言う。
P.106
日本のマンガの歴史を見てみよう。
ある研究は、日本のマンガの絵が7,8世紀にお寺で始まったとする。
法隆寺の天井裏で動物と人との面白い絵が発見された。
また、それらは唐招提寺の像の台座の裏でも見られた。
それらは、建築工事の労働者によって描かれた単なる落書きであると言われている。
最初の有名なマンガの一つは、12世紀初頭に書かれた。
その画家は鳥羽僧正だった。
彼の作品の「鳥獣戯画」、または「動物絵巻」は4つの巻物から成り立っていて、当時の人々と動物の愉快な物語を語っている。
P.107
この芸術形式は、最初中国から紹介された。
当時における他の初期の芸術形式と同じように、初期の日本の絵巻の多くは宗教的な題材を扱った。
また、それらの多くは今日のマンガとまさに同じように愉快だった。
17世紀初頭の頃には、それはますます宗教的題材を扱わなくなった。
「マンガ」という言葉は、この頃にこの芸術形式に対して初めて使用された。
P.108
世界の異なる地域で、多くの種類の日本マンガが出版されてきた。
しかしながら、それらがそれほど人気になる前、いくつかの問題があった。
例えば、日本のマンガは右から左へと開かれ、読まれる。
これは、外国人にとっては奇妙である。彼らは、逆から読むことに慣れている。
また、日本人の生活の仕方をあまり知らない人々にとって、日本文化には理解しにくい部分もある。
例えば、「サラリーマン」の話は外国人読者にはあまり興味深いものではない。
しかしながら、そのような問題は日本のマンガがアメリカにおいて人気になっていくことを止めなかった。
それは全てテレビや映画のアニメーションから始まった。
1963年の手塚治虫による鉄腕アトムから、ますます多くのマンガの物語に基づいた日本のアニメがアメリカで放映されてきた。
日本企業が原作マンガを英語で出版し、アメリカへ送るのに十分な数の日本のアニメ・ファンがいたのだ。
P.109
なぜ日本のマンガには、それほど多くの読者がいるのだろう?
手塚治虫は本の中で言った。「漫画には、笑う以上のものがあると思います。
また、マンガは涙、怒り、憎しみの物語も扱います。
私は、常に幸せな終わり方をするわけではない物語を作りました。」
私たちは、確かに手塚の作品にヒューマニズムや命への尊敬を見つける。
マンガに感動した子供たちは、高校生や大人になった後でもそれらを読むことを止めない。
マンガは、子供や若者たちが大人になるのを助ける重要な役割を果たす。
手塚が言ったように、「たとえどんな言語で出版されようと、マンガは全ての国境と文化的な境界を越える重要な表現方法なのです。
本当に良いマンガを読むことは、私たちの人生や世界を変えるのに役立つかもしれない。
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